福岡県在住。
矢野トヨコさんの前夫は福岡県の炭坑で働いていた。落盤事故で前夫を失い、4人の子供とともに路頭に迷った。それを救ったのが2番目の夫となる矢野忠義さんだった。
しかし、矢野さん一家はカネミ油症被害者になるという新たな苦難に遭遇することとなった。
矢野トヨコさんは自らは認定されていながら未認定患者の発掘運動を積極的にされてきた。トヨコさんは、2008年、亡くなられた(享年86歳)。夫の忠義さんが運動を引き継ぎ、活動している。
兵庫県在住。
真柄繁夫さんは海上保安庁に勤務し灯台守だった。日本各地の様々な灯台を家族とともに転勤してきたが、運悪くちょうどカネミ油症が発生した1968年の4月に五島列島に赴任して大瀬崎灯台などの灯台守をしていて、そこで家族全員、カネミライスオイルを摂取した。
退職後は、兵庫県に住むようになった。
その後、癌になったが男女群島のメシマコブ(サルノコシカケ)が効くのではないかと思い、メシマコブを自らでためしたところ、癌が治った。その経験から自分でメシマコブの工場をつくり、販売するようになった。
娘の道子さんは小学生の時にカネミ油症の被害者になり、様々な身体的な症状で苦しんできた。
真柄繁夫さんは2008年、交通事故で亡くなられた。享年89歳。
福岡県在住。
重本加名代さんはカネミ油症の未認定被害者。1968年当時、小学生だった。
夫の重本善十さんは自動車修理工場を経営しながら、兼業で農業をやっている。環境への配慮から何年か前から有機農業に切りかえた。また、重本さん夫妻は近くの小学校の校長先生と知り合い、子供達に田植えや稲刈りを体験させたり、加名代さんが小学校に出むいてカネミ油症について子供達に伝えたりして交流している。
高知県在住。
中内郁子さんは1968年当時、職場の同僚から健康に良いとカネミライスオイルをプレゼントとしてもらいカネミ油症の被害者になった。その後、結婚して、1971年、長男の孝一さんが産まれた。
郁子さんはカネミ油症被害者としてすぐに認定された。孝一さんは口唇口蓋裂の症状をかかえて産まれてきた。カネミ油症が原因だと思われるが、孝一さんはいまだに認定されていない。